2008年 01月 23日
私にとっての風景画 |
私の絵はそのほとんどが風景画です。
どこに行っても常に絵のモチーフになるような風景がないかな、と周りの風景を眺めまわしています。それならどんな風景を求めているかと思われるでしょう。名所旧跡や絵葉書にあるような風景は全く興味が起きません。そんなものは眺めるだけです。どこにでもあるような山里、農家の裏山、遠くの山並などの風景のなかから自分で見つけた自分だけの風景、そんなものでなくては絵にする気になりません。絵ハガキにあるような有名な風景など模写するような気持がして筆を執る気になりません。
説明的な、写実的な絵は描きたくないです。色彩にしても誰もが感じる見たままの色彩でなくて自分の感じた色、そして絵全体から見てバランスのとれた色を選びます。構図にしても見たままでなくて部分的にアレンジすることもしばしばです。絵は目で見る詩だと私は思っています。風景の中に詩を感じ、絵の中に自分の心の中を表現したいといつもやさしい気持ちを心掛けてで描いています。
私の敬愛する画家、安野光雅さんの「絵描きという生き方」なる記事をある雑誌で読んで、風景画との取り組みに関して私と同じようなお考えで描いておられることを知り、勇気付けられました。彼は私と同年代ですが見習いたいです。
どこに行っても常に絵のモチーフになるような風景がないかな、と周りの風景を眺めまわしています。それならどんな風景を求めているかと思われるでしょう。名所旧跡や絵葉書にあるような風景は全く興味が起きません。そんなものは眺めるだけです。どこにでもあるような山里、農家の裏山、遠くの山並などの風景のなかから自分で見つけた自分だけの風景、そんなものでなくては絵にする気になりません。絵ハガキにあるような有名な風景など模写するような気持がして筆を執る気になりません。
説明的な、写実的な絵は描きたくないです。色彩にしても誰もが感じる見たままの色彩でなくて自分の感じた色、そして絵全体から見てバランスのとれた色を選びます。構図にしても見たままでなくて部分的にアレンジすることもしばしばです。絵は目で見る詩だと私は思っています。風景の中に詩を感じ、絵の中に自分の心の中を表現したいといつもやさしい気持ちを心掛けてで描いています。
私の敬愛する画家、安野光雅さんの「絵描きという生き方」なる記事をある雑誌で読んで、風景画との取り組みに関して私と同じようなお考えで描いておられることを知り、勇気付けられました。彼は私と同年代ですが見習いたいです。
by andrew-katsu
| 2008-01-23 14:54
| 私の歴史