2006年 01月 25日
ハンセン氏病の救済に生涯を捧げた二人の英国婦人、ハンナ・リデルとエダ・ライトの物語 |
私は幼少の頃、当時日本聖公会・九州教区の主教であったアーサー・リー主教によって洗礼をうけました。年月ははっきりしませんが、昭和3,4年頃ではないかと思います。
私の家は、母方の祖母の時代から熊本聖三一教会(日本聖公会)の信徒でした。父もそうでした。そして父とは母は聖三一教会で知り合い結婚、そして私が生まれたわけです。
そして当然の成り行きとして洗礼を受けました。受けましたとゆうより受けさせられてしまったわけです。ゆうなればキリスト教とゆうガブガブの(大きすぎる)既製服をいきなり着せられてしまったわけです。そして半ば強制的に、「日曜学校(教会学校)」に(旧制)中学に入るまで通わせられましたが、その既製服がなかなか体に馴染まず、着心地が余り宜しくないものでした。
戦争の時代になり、中学に入った頃からいつの間にか教会に行かなくなってしまいました。然し結婚式だけは戦後間もない昭和24年、両親の計らいで当時聖三一教会の司祭だった豊福司祭(この方は後でお話するエダライトに献身的に協力し又ライトがもっとも信頼した司祭)によって挙式をする事が出来ました。然し其の後も会社の転勤で各地を転々としていた事もあって教会の門をくぐることもありませんでした。
私が老年になって、既に熱心なクリスチャンになっていた長女から背中を押されるようにして、ふとした機会から再び教会に通うようになりました。私にとっては信仰の復活でした。そんな事で、自分自身で心から信仰を求められた信仰心の厚い皆さんに比べると、ただキリスト教とゆうレールの上を歩いただけの信仰心の薄い私が、皆さんに教話など聖書や神様のお話をする事などはとてもできることでは御座いません。
そこで今日皆様にお話するのは、明治・大正・昭和にかけて、私の故郷熊本でハンセン病の救済に生涯を捧げた「ハンナ・リデル」と「エダ・ライト」ー私の両親ともかかわりのあつたこのお2人のことについて、お話してみたいと思います。
続きは、こちらです。
by andrew-katsu
| 2006-01-25 13:53
| 私の歴史